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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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宇仁田ゆみの『うさぎドロップ』って作品の中に
記念樹が出てくるエピソードがある。

 

記念樹とは、何かを記念して植える木のこと。

一般的な風習としてあるのかは分からないけれど、
人生の節目にあたる時期に1本の樹木を植え、
その人の人生とともに成長する、自分の分身ともいうべき樹木。

『うさぎドロップ』では登場人物の生誕に合わせた
記念樹が出てきたんだけど、このエピソードを読んだとき、
ああ自分にもそういう木があれば良かったのになって思った。

ふと振り返ったときに、その木がある。

自分と同じ時間だけ生き、成長しているものがもうひとつある感覚というか、
自分以外の大きな流れを感じることができる感覚というか、
うまく言えないけど、そういうのっていいなって思うんだよね。

それはグレてるときに見たら更正する類のものではないんだけど、
その人が30歳、40歳、さらには50歳、60歳になったときに、
今までの積み重ねをふと振り返って、そういうのがあると嬉しいかもって。

ただそれだけの話なのだけど、でもなんとな大切なもののように感じて、
だから、自分の子供が生まれたときには
どこかに「その子の樹」を植えたいとずっと考えていた。

でも結局、植える場所・・・というか、
ずっと自分が管理できる場所─少なくとも生きている間はだけど─の
心当たりに見当がつかなくて断念しちゃったんだけど、
てか、今の日本でそんな場所を確保できる人の方が少ないと思うんだけど、
子供が生まれて7か月が過ぎた今もなお、
やっぱり植えたかったなって気持ちは残ってるんだよね。

極端な話、自分が植えた木でなくてもいいんだ。

誰かがどこかで管理してくれている山の中で、
何年何月にこの木を植えましたよ、という記録があって、
そしてその木の場所に自分たちが行けさえすれば、
その木を我が子の記念樹として、
そしてあわよくば自分と、嫁の生年月日のものがあればだけど、
それをお互いの記念樹として、しっかり見守れると思うんだ。

どこかにそういう毎年、毎月の記念樹を植え続けている
お寺みたいのってないのかなぁ。

そしたらきっと、その木に会いたくなって、
全く縁もゆかりもないのにお参りに行くのになぁ・・・なんて。

個人的には自分が死んでもお墓なんていらないと思ってるんだけど、
もしそういう記念樹が管理されている場所がどこかにあるのだとしたら、
その記念樹のふもとに、自分の遺灰を埋めて欲しいなとは思うんだ。

海に蒔くのも大概だからね。
そんなことで散骨業者を儲けさせるつもりもないし。

なんとなく、本当に漠然とした気持ちなんだけどね、
そういう落ちつける(?)場所が欲しいなって思う。

それは自分が実家から離れて暮らしてるせいかもしれない。

男だからたまたま苗字が変わらないだけで、
ウチは誰かが家を継ぐ訳じゃないし、もちろんそんなつもりもないから、
ふと自分の末裔というか、子供の、さらに子供の・・・なんて考えた時に、
たぶん誰もいなくなるんだろうなって思いがあるからかもしれない。

お墓ってもともとその残された人たちのためのものだとは思ってるけど
でもさ、そもそもわざわざ石に名前を刻んで後世に残すような
そんな大層な人生を送ってるつもりはないし、
100年後にはどっちにしろ無縁仏みたいな感じになるんだとしたら、
もう最初っから、そういう場所にひっそりと埋まってたいんだ。


詠み人知らずの
歌が残るように
ささやかなれど
明日に続く
我が人生


宇崎竜童が「相聞歌」って歌の中でそう歌っていたように、
ささやかなれど、今と昔と、そして未来とをつなぐ、何かが欲しい。

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伊集院光を聞き育つ。

撃ち抜けないのは美女の心と物事の急所だけさ。

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