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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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※この記事は、2009年03月17日にmixiで投稿したものを転載したものです。


父方のじいちゃんの葬儀のため、
12日から実家のある新潟へ行っていました。

最後に言葉を交わしたのは何年前になるのでしょうか。
享年87。眠るような、安らかな死に顔でした。

私は、じいちゃんのことを良く知りません。

私が生まれたときから、じいちゃんは、じいちゃんでした。
どこかの校長先生だったとは聞いていましたが、
それが地元でも有名な小学校だったことを、葬儀で初めて知りました。

じいちゃんの誕生日は、
私の結婚記念日でもある11月11日なのだそうです。
それも、葬儀で初めて知りました。

昨年、私が結婚の報告をしたとき、
震えた文字で、じいちゃんの名前が御祝ののし袋に書いてありました。

じいちゃんの送ってくる手紙はいつも達筆で文字が崩れ、
読むたびに、暗号の解読をしているような気分になるのだけれど、
そのとき貰ったのし袋の文字は、読みやすく、大きな文字で

「おめでとう」

と書かれていました。

数年前から体調を崩し、
自宅と病院と行ったり来たりするような生活だったのですが、
数年前にまだ付き合っていた頃の今の嫁を連れて行ったとき、

「なんだぁ女の子連れてきたんかー」

と、とても驚いた様子で、
でも、とても嬉しそう私たちを迎えてくれました。

ここ1年は、体調も安定していたため、
じいちゃんは、病院ではなく施設に入っていたそうです。

施設を出るときに貰ったアルバムには、
そこで、嬉しそうに日本酒の熱燗(?)を手酌する姿や、
とてもいい顔で外を散歩をしている写真がたくさん載っていました。

「一人暮らしを続けていたら、こんな良い顔は見れなかったねぇ」

と、親戚のおばさんが話しているのを聞いて、
何だか少し、寂しい気持ちになりました。

もしかしたらじいちゃんは、広い広い、誰もいないあの家で、
ばあちゃんに先立たれてからずっと一人で、
寂しい思いをしていたのかもしれないな、と思います。

私と私の弟は、母方の実家も新潟にあるので、
従兄たちの中でも一番多く、じいちゃんに会っている孫兄弟なのだそうですが、
それでも、年に数回あればいい方でした。

最後の数年間、私は忙しさを理由にして新潟に顔を出すこともなく、
一言の言葉も交わさないまま、
じいちゃんは旅立ってしまいました。

じいちゃん、ごめんね。

あっちにはばあちゃんもいるし(あんまり仲は良くなかったけど)、
きっと一緒に酒を飲んだ友達もいるだろうし、
懐かしい顔にも会えるだろうね。

だから、今よりは寂しい思いをしなくて済むと思う。
最後会いに行けなくて、本当にごめんね。


87年間、お疲れ様でした。
おやすみなさい。

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撃ち抜けないのは美女の心と物事の急所だけさ。

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