撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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amazarashi のステージは、文字通り
ステージと観客席の間に1枚の薄い壁があった。
スクリーンの背景に透けて見える彼らのシルエットに
生演奏の迫力とステージに映し出される映像とが見事にマッチして
ひとつの作品、映像を観ているような感覚だった。
彼らは確かにそこにいた。
その存在感や熱を感じることができた。
でも、すごくカッコ良かったし激しかったし最高のステージだったけど、
これならもしかしたら映画館でも近いものは得られるかもって、
そこに彼らがいる必要はないのかもって、
そう感じてしまったことが少し寂しかった。
次に出てきたLily Chou-Chouのステージはもう少し拙くて未完成な感じで、
独自の世界観を「演じる」歌い手がそこにいたのかいないのか。
ネットや映画の世界での存在と、現実世界での存在ってやっぱり違っていて、
どこか希薄な、場違いな、嘘っぽい感じがずっとぬぐえなかった。
おかしいな、自分がライブハウスに求めていたのは
こんな感覚だったっけって、ちょっと感じていた。
わざわざ足を運んで、生でここにいる必要なんてなくて、
顔を突き合わせて何かをする必要なんてなくて、
これだったら普通にクラブに行って踊ってればいいのかなぁって、
身体の芯まで響く大音響の中に身を置いて音に身体を委ねれば、
まぁそれはそれでそれっぽく楽しめるかもって、そう感じていた。
CHARAがステージに出てくるまでは。
対バン形式の今回のLIVE、最後のステージはYEN TOWN BANDだった。
YEN TOWN BANDは確かに映画の中の架空のバンドに過ぎないけれど、
CHARAが演じる「グリコ」が発する熱量は、存在感は圧倒的だった。
歌唱力や表現力はもちろん素晴らしかったけれど、
ちょっとしたMC、煽り、仕草のひとつひとつが
観客席に、自分に向かって飛んできていた。
単に「発信する側」と「受信する側」の関係ではなくて、
お互いがお互いを注意深く観察しながらその場の雰囲気を作り出していき、
お互いの存在がこの関係を、空間を生み出していく。
自分がライブハウスに求めていたのはこれだと思った。
今この瞬間が唯一無二の、複製の効かないものだと感じさせてくれた。
そこにあるのは対話で、ここにいれたことが嬉しくて
来てよかったと思った。最高に心地良い時間だった。
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