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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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今からすごい乱暴な主張をするよ?

いかなる理由があろうとも、体罰だけは絶対にやってはいけない。
だから市立桜宮高校や県立豊川工業高での行為は悪だ、
今後、教育現場における一切の体罰は認めることはできない。

個人的な意見なんだけどね、一部報道やコメンテーターが
この事件を扱うときに行うこれらの主張に
必ずしも同意できるかといえば、実はそうでもない。

正直、ちょっと違和感がある。

いや、誤解されると困るけれど、もし仮に自分が学生の頃、
教育の名の下に行われる体罰が常態化していたとして、
それが自分の成長に有用な作用を及ぼしたかでいえば、答えは「NO」だ。

それが部活動の強化に繋がったかといえば、それも「NO」だ。
自分には合わない。必要ない。害悪そのものだ。

体罰は単なる鬱憤晴らしや暴力、恐喝に過ぎないし、
また、元巨人の桑田氏が話していたように、
「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図の中での体罰は、
最も恥ずべき卑怯な行為だと思う。

昔「es -エス-」っていう、アメリカの大学で実際に行われた
監獄実験をモチーフに描かれた映画があった。

その実験は、無作為に選ばれた男女21名を看守役と受刑者役に分け、
疑似刑務所の中で数週間生活させるというもので、
日を追うごとに看守は看守らしく、受刑者は受刑者らしく、
誰もが立場によって正常な感覚を失っていく様子が描かれていた。

部活動の顧問や監督も刑務所の看守と同じ、
絶対的な強者としての立場が保証されている訳で、
正直、自分がもしその立場になったら、
とてもまともな神経じゃいらんないと思う。

そういう意味では「親と子」って関係だって
一歩間違えれば相当に危なっかしいもんだと考えている。

でも、だからといって、それがイコール、
体罰そのものを否定できる材料になるとは思わない。
(ただし何度も書くけど、個人的には不要であると考えてるけども)

世の中には奇特な方も随分といらっしゃるようで、
強くするために、少しでも結果を出すためには
体罰も止む無しと考えている人もいる。

そして、それが自身の、そして自分たちの子供の、
成長に、成功に繋がると考えている人がいる。

そのような人達にしてみれば、教育現場における「適度な体罰」は
たぶん、恐らく、きっと有用に働くんだろう。

実際、ゴールデンの時間帯にだってそういう特集番組はあるし、
市立桜宮高校では子供を預ける保護者からですら
肯定的な意見が出ているのでしょう?

それが例え失明したり大けがをしたり、
果ては命を奪ったりする結果を生み出すものだったとしても、だ。

個人的には決して受け入れられる感覚ではないのだけど、
それは個々人の価値観だもの。否定はしない。

もちろん、体罰なんて極端な例を挙げたもんだから
抵抗を感じてる人もいるはずだ。

しかしながら、ひとつふたつの事例でもって
この方法論は是である、非である、と全ての子供にそれを
当てはめてしまおうと考えてしまう風潮の方が、
個人的には危険なもののように感じられる。

全ての生徒、子供に同じ価値観を押しつけるような指導、教育なんてのは
結局のところコインの裏表みたいなもので、
体罰容認派と否定派の立場が単に入れ換わったに過ぎない気がする。

犠牲になるのは、いつも生徒や子供なんだ。

子供が10人いれば、10通りの指導法があっていいはずで、
その中で、体罰が必要な指導法だと主張するならば勝手にすればいい。

ひとりひとりの個性に、価値観に合わせた指導、教育が
今の教育現場には、求められていることなんだと思う。

だからね、結論として、自分はこう考える。

もう、体罰は体罰でいいよ。

でもそのかわりに、我が校では指導法として体罰を認めています。と
大きく胸を張って宣伝して欲しい。

部活動の強化のためには、それは必要不可欠な指導なのです、と。

そして、それが自分たちの個性、価値観に合ってると考えている
親や生徒は、その学校を選んで受験すればいい。

それが選択の自由だ。

実際にね、今の教育の現場で、
10人の子供に10通りの指導方法を試せるかっていえば、
それは限りなく難しいことだと思う。

もしかしたら幸運にもたまたま合う人もいるだろうし、
それがちゃんとできる指導者だっているだろうけど、
でも、それを教育の現場にだけ任せちゃだめだ。

それに近いことができるのは、唯一家庭だけ。
この子に、自分に合う方法は、なんだろうって考えられるのは、
親やその子自身だけだと思う。

だから、それぞれの個性や価値観に合ってると考えている場所に、
自分で選んでいけるようにすればいい。

そうすれば、スポーツ強豪校でも体罰を方針として
認めていない学校も分かるでしょ。
(いや、そもそもスポーツ強豪校では体罰が常態化してるってな
主張もずいぶん乱暴な思いこみにだとは思うのだけど。)

そして、認めてない、って立場を明確にしていれば、
もし万が一こういう事故が起きたときの対応はハッキリしてるでしょ。

そういう意味では、橋本市長の主張は分かりやすいよね。
今後、大阪市の学校ではいかなる体罰も認めないって
明確に言ってくれてるんだから。

まぁそれが市立だけでなく教育全般の現場に適用しようとするあたりが
らしいといえばらしいとは思うけど。

この学校はどういう価値観を持った学校で、
どういう主義主張をもとに指導、教育を行っているのか、
そこが明確になり、自由に選べるようになれば、
少なくとも誰も「犠牲者」にならなくていい。

そこにあるのは「自分たちの選択の結果」だけだ。

その学校を選ぶことによって、
自分が何を得、何を感じ、何を失うのか、
あとそこに必要なのは、想像力だけでいいのだから。


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