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異常が起きてからの助産師さんの対応は素早かった。
まず嫁に体勢を戻すよう指示すると
備え付けの受話器を手に取り、どこかへ状況を簡潔に伝えた。
その後すぐに受話器を戻し、嫁が体勢を変えるのを手伝う。
「赤ちゃんも苦しいんだから、お母さんも頑張って!」
痛みのため思うように体勢を変えられない嫁に、
優しく、しかし強い口調で声をかける。
モニターの警告音を消し、絡まりそうになっているコードを避けながら
嫁の身体を支え、元の仰向けの体勢に手早く戻す。
すぐに背後の扉が開いた音がしたかと思うと、
医師や他の助産師が数人、バタバタと入って来た。
みな白衣にマスクを付けており、
病室の棚から使い捨ての手袋を出して装着すると、
嫁の左手側に、足元に、右手側にと取り囲むようにして立つ。
嫁の体勢が戻ることに呼応するかのように、
モニターの心拍数がみるみる正常値を取り戻していく。
「赤ちゃんは・・・無事?」
かすれた声で嫁が助産師さんに確認する。
不謹慎だけど、こういうとき
本当にそういう言葉が出るのだなと思った。
嫁にとって赤ちゃんは、既にもう10ヵ月もの長い時間、
昼も夜も、健やかなるときも病めるときも、常に一緒に過ごしてきた。
嫁が入院することになって改めて我が子を意識した自分とは、
その愛情の深さは比較にもならない。
これが母親なんだと思った。
この子は絶対に無事に生まれきて欲しい。
自分も父親になりたいと思った。
「大丈夫ですよ、体勢を変えたから少しびっくりしたみたい」
助産師さんが嫁の問いに答える。
子宮口まで残り数センチだった赤ちゃんが
体勢を変えたことで瞬間的に一気に移動し、
もう一息で生まれる位置まで来ていたのだそうだ。
瞬間的に驚いた赤ちゃんが「息をのんだ」ような状態になったらしく、
予断を許さない状況には変わらないけれど、
無事であることは間違いないらしい。
「次の陣痛が来たら、このままの体勢で少しいきんでみましょう」
助産師さんが言った。
いつまでも続くと思っていた陣痛との闘いが
突然クライマックスになっていることが分かった。
出産が近い。
スタッフの動きを眺めながら、
そういえば自分がまだナースコールを握ったままだったことに気が付いて
慌てて分娩台の元あった場所に戻した。
モニターの音はもうすっかり落ち着いていた。
正常値よりもやや高めの心拍音が
リズムよく流れてきている。
良かった。本当だ。生きてる。
モニターが再び赤ちゃんの胎動に合わせて鳴りだした。
陣痛が来る。医師がスタッフに声をかける。
タイミングに合わせて、
大きな声で嫁がいきむ。
分娩室中はもちろん、病院中に響くんじゃないかってくらい大きな声だった。
こんな声を聞いたのは初めてだ。
「いいですよ、この調子」
助産師が声をかける。
スタッフの緊張感が伝わってくる。
出産とは、子供はもちろん、母にとっても命を賭したものなのだと
改めて意識した。意識せざるを得なかった。
命の現場。
この瞬間に立ち会えてよかった。
24:30。気が付いたら日をまたいでいた。
しかし、いきんでもいきんでも赤ちゃんは出てこなかった。
数分前まで分娩室を包んでいた緊張感は
だんだんと波が引くように薄れていった。
体勢を変えたことで、陣痛が少し落ち着いてきてしまったのだ。
陣痛に合わせていきもうにも、
その陣痛がなかなか来ない。
断続的に来ていた陣痛が数分間隔となり、
次第に10数分の間隔が開くようになった。
しばらく様子を見ていた医師たちも、
「もうちょっと、かかりそうかな」と手袋を外して
進行を静観するような感じになっていた。
助産師さんから
「旦那さん、奥様にお水を」
と言われた。
慌てて近くに置いてあったミネラルウォーターを嫁の口に運ぶ。
唇がカサカサに渇いていた。
あれだけの声を出したのだ、喉もきっと渇いているに違いない。
とても疲れた顔をしていたけれど、
終わりの見えない闘いを続けていたときほど
絶望的な表情ではなかった。
もうすぐ生まれると手ごたえを感じたのかもしれない。
もしかしたら嫁の気分転換になるかもと
「どうやら誕生日は12月16日になりそうだね」と声をかけた。
ところが「それどころじゃないし!」と叱られ、軽く凹んだ。
25:00。あれから30分、いまだ生まれる気配はなかった。
何度か訪れた陣痛も空振りに終わり、
業を煮やした医師が、促進剤の使用を提案してきた。
ちょっと間が空くようになってしまっているから、
ここで一気に産んでしまった方が負担が少ないとのことらしい。
ただ、助産師としては本当にあと少しなのだから、
せめてあと数回だけ様子をみたいと話す声が聞こえた。
嫁もそれを聞いていたようだ。
後で聞いた話だけど、嫁も促進剤は嫌だと思って
その会話以降の陣痛は今まで以上に踏ん張ったらしい。
それから2度、陣痛が訪れた。
最初の陣痛は、その会話のすぐあとに来た。
助産師の声に合わせて、嫁がいきむ。
「いいですよ!上手!!」
しばらくその様子を見ていたスタッフの表情が変わり、
一斉に手袋をはめる。
医師が助産師に何か声をかけ、
助産師がそれに素早く応える。
再び緊張した空気が分娩室に流れた。
嫁のいきむ声が聞こえる。
しばらくしてまた少し落ち着いたかなと思うと、
再びモニターが大きく鳴りだした。もう1度、陣痛が来る。
この陣痛は、少し長かった。
いつも以上の力で握りしめられた嫁の拳が震える。
「もう頭が出てきてますよ!」
助産師が声をかける。
嫁が声にならない声を出す。
医師が何かを掴もうと身を乗り出すのが見えた。
そして、何かが流れ落ちる音がした。
ああ、こんな音がするんだなって思った。
すぐに、赤ちゃんが泣きだす声がした。
元気な声だった。すごくすごく元気な声だった。
もっと可愛い泣き声を想像していた。
うるさいくらいの大きな泣き声だった。
身体についた羊水を丁寧に拭かれながら、
その子は嫁の胸の上に乗せられた。
出産直後にお互いの存在を確認しあう、
カンガルーケアという方法なのだそうだ。
嫁の胸の上に乗せられてからしばらくは、
心拍数や酸素量を計測する機器に繋がれながら、
注意深く呼吸の状態や血色を観察されていた。
少し落ち着いたのか、嫁の胸のうえで気持ちよさそうに呼吸を繰り返す。
こんなに小さくても、生きてる。
初めて見る我が子の顔は、なんとなく自分の顔に似てる気がした。
ああ、俺の子かもって思った。
想像以上に髪の量が多い。
噂では聞いていたけれど、本当に猿のようだった。
嫁の表情は、今まで見たことがないくらい晴れやかな顔をしていた。
「お疲れさん」と声をかけた。
嫁はこっちを向いて、「おう」と答えた。
12月16日、午前1時20分、誕生。
陣痛開始から4時間50分、促進剤無しの自然分娩。
元気な男の子だった。
その後、赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)に入院することになった。
出産直後は落ち着いていたのだけれど、時間が経過するうちに、
一過性の多呼吸と黄疸が出てきてしまったせいだった。
母に聞いたら、自分も同じようにNICUに入っていたのだそうだ。
そんなとこまで似なくていいのにな。
保育器の中で様々な配線に繋がれた我が子の様子を見るのは
辛かったのだけど、それ以上に辛かったのは
本来ならこの手の中で眠っているはずの我が子がいないことに
ショックを受けている嫁を見るのが辛かった。
誰のせいでもないのだから、
嫁が責任を感じる必要はないのにと思った。
幸いにも自分のときとは違って症状はすぐに良くなり、
結果的にNICUに入っていたのはほんの数日で済んだ。
あれから1カ月、今では無事に退院して、
ウチで元気に泣いて過ごしてる。
この姿が見れるだけでも、今はすごく幸せだ。
改めて、これからもよろしく。
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