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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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12月15日の早朝、もしかしたら破水かもしれないと嫁が言った。

少量ではあるが、血液と、タンパク質特有のクセのある香りが
今朝の尿に混じっていたのだという。

妊娠39週、予定日よりも1週間早いだけで、
それまでの経過は順調と言えた。

一時は切迫早産の兆候もあったことを考えれば、
予定日1週前までよくお腹の中にいてくれたと思う。

彼女の職場には迷惑をかけてしまったのかもしれないが、
早めに休職して安静にできたことが良かったのだろう。

急いで支度を済ませ、車で病院に連れて行く。

検査の結果、それが破水だと分かり、
嫁はそのまま入院することになった。

入院手続きを済ませると、
「分娩準備室」という2人部屋に通された。

いかにも病室らしいと書くと語弊があるけれど、
淡い色調の殺風景な部屋だった。

ベットに横になり、運ばれてきた昼食を済ませる。
ここで、その時が来るのを待つのだ。


16:30。着替えを持って再びこの病室に顔を出したとき、
嫁は微弱ながら陣痛が始まったみたいだと言った。

陣痛が始まった。
それがまるで現実味のない夢の中の言葉のようだった。

いつ生まれても大丈夫なように準備はしてきていたものの、
正直なところ、出産はずっと先の出来事のようにに感じていた。

今日、本当に生まれるのか。

自分の気持ちを整理するために、
いよいよなのだと覚悟が必要だった。


18:00。徐々に陣痛と陣痛との間隔が短くなってきた。

強い陣痛と弱い陣痛があるらしく、
強い痛みは海の波のように、何度かおきに繰り返し襲ってくる。

外からではなく、中からの痛み。
それでいて身動きが取れないほど強い痛みというのは
どんな痛みなのだろうか。

陣痛が始まると腰のあたりを撫でるように揉む。
そうすると少し痛みが和らぐらしい。

夕食を取ろうにも猛烈な吐き気に襲われ、
口に入れては嘔吐を繰り返す時間が続く。

「気持ちが悪いし、吐くだけだから」と
何も食べようとしない嫁に、助産師が声をかける。

どんなに辛くても、どんなに戻すことになろうとも、
出産のエネルギーを得るためには何かを食べることが必要だという。

それが結果的に短時間の出産に繋がり、
出産が短時間であればあるほど、
母子共に負担が少なくて済むのだそうだ。

しかし、食べたものを全て吐き出してなお吐き気が治まらず、
かろうじて水分を取るのがやっとの状態だった。

食べたくても食べられない、
そして、絶え間なく襲いくる痛みによって、
身体を休めることもままらないまま、時間だけが過ぎていく。

生まれてくる子供のためにも、耐える。


20:00。防音設備があるのだろう、とても静かな準備室の中で
胎児の心拍数をモニタリングする音だけが響いている。

この音はNST(ノンストレステスト)といって、
お腹の中の赤ん坊の状態を見るものらしい。

基準となる心拍数は110~150で、
それが細かく変動していると胎児が活発に動いていることを示しており、
瞬間的に数値が高くなった後は、たいてい大きな陣痛が来る。

逆に、数値が低く動きがなくなると
胎児が危険な状態にあることを示しているようだ。

出産が母と子の共同作業だとはよく言ったものだ。

定期的に助産師が検査に訪れ、
お腹の張りと陣痛の状態を診ていく。

この時間になると
10分おきに強い陣痛がくるようになっていた。

NSTの記録用紙と嫁の状態を確認した助産師さんから、
分娩開始を20時半として準備を進めましょうと話があった。

開始時間を設定することにどんな意味があるのかよくわからなかったけど、
まだ始まってもいなかったのかと思った。

本来であれば20時で面会時刻が終わるために
付き添いの自分は一度病棟から出る必要があったのだけれど、
この調子であれば立ち会い可能な分娩室への移動も近いとのことで、
ずっと側にいれることになった。

良かった。
嫁も子供も頑張ってる。自分も頑張ろう。


21:25。分娩準備室から分娩室へ移動することになった。

移動後、嫁は分娩台に横になり、
すぐに検査を受けた。

嫁が検査を受けている間、10数分間ではあるものの、
自分も横になって休むことにした。

さすがに少し疲れてきていた。
ここでの無理は禁物だ。

検査の結果、子宮口は4cmまで開いていた。
入院から約9時間、経過はとても順調のようだ。

順調だとはいえ、どれだけ長い時間を覚悟すればよいのか。
自分はともかく、嫁の気持ちは大丈夫だろうか。

嫁の表情には、何度も襲い来る耐えきれぬほどの痛みに
疲労の色が強く滲んできていた。


22:30。分娩室に移動してからも準備室と同じく、
2人だけで過ごす時間が長かった。

助産師さんもときどき様子を診にきてくれた。
陣痛と陣痛の合間に少しでも休めるよう、
部屋を暗くし、BGMをかけるなど対応してくれた。

この状態は楽でもあった。
自分も近くのソファに横になり、
モニタリングの音を合図にして嫁の側に向かう時間が続く。

静かな音の流れる空間に、
子供の心拍音が定期的に響いてくる。

心拍音が強くなると、数秒遅れで陣痛が来る。
叫びだしたくなるほどの強い痛みがくる。

この痛みからは逃げられない。
まるで拷問ではないか。

「もういやだ」と嫁が言った「怖い」と。
「ごめんなさいごめんなさい」と泣きながら謝る。

大丈夫だと背中をさすり、手を握る。

お腹の赤ちゃんもこんなに元気に動いているもの、
もうすぐ顔が見られるよ、と声をかける。

代われるものなら代わってやりたいってこういうときに使うのか。
でもきっと、自分なら耐えられないかもしれない。

100キロウォークは歩けば終わる。
フルマラソンなら走れば終わる。

自分が今どこにいるのか、残りはどれくらいなのか。
ペースと距離とを計算すれば、残りの時間が分かる。

あとどれだけ頑張れば終わるのか、ここから解放されるのかが分かる。
だから頑張れる。

でも、陣痛にはそれがないのだ。

終わりの見えない闘い。
確実なのは、唯一再びあの痛みが訪れることだけだ。

そんな状態で、まともな精神を保ってられるはずがない。

どうすればいいのか、
なんて言葉をかければいいのか思い浮かばなかった。


23:30。分娩室に嫁の呻きが漏れる。

しばらく経つと治まり、
再びモニタリングの音だけが部屋に響く。

入院から11時間。
時間も時間だし、嫁も検査や陣痛の合間には
少し眠れるようになってきたようだった。

眠り、陣痛が起り、泣き疲れ再び眠る。
これがいつまで続くのか。

様子を診に来た助産師さんから、
もしかすると陣痛の痛みが和らぐかもしれないからと
体勢を変えたらどうかと提案があった。

繋がれたコードを掻い潜るようにしながら
一番楽な姿勢を探し、いくつか体勢を変える。

そして嫁が四つん這いになった瞬間、異変が起きた。

それまで定期的に鳴り続けていたモノタリングの音、
胎児の心拍音が、突然消えた。

無機質な ピー という長く続くだけの音。

医療ドラマ以外で初めて聴いた。
生で聴くことなんてないと思っていた。

瞬間、NSTの機材から警告音のようなものが流れ出した。

何が起きたのか把握できなかった。

それがモニターから流れている心音だと気付いたとき、
ああ、きっと体勢を変えたから
お腹に付けていたコードが抜けたのだろうと思った。

そうであって欲しいと思った。

でも、コードはしっかりと付いたままだった。
この音が、胎児の身に何かが起きた危険信号なのだと理解したとき、
助産師さんの声が響いた。

「旦那さん、ナースコールお願いします!」

はっと我にかえり、思いだしたように身体を動かす。
分娩台の周囲を見渡し、台にひっかかっていたナースコールを押す。

指が震えていた。

あんなに大変な思いをしていたのに、
こんな結末は嫌だって思った。


→後編に続く


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