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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
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→つくば100キロウォーク2012 その1
 

100kmという距離を、つくば100kmウォーク大会を
「起・承・転・結」で分けるとするのなら、個人的にはこう分けると思う。


「起」

0km(スタート)~20km。

筑波山口をスタートし、
つくば古道、平沢官衙遺跡を通って
再び筑波山口に戻る一般道の道のり20km。

身体は軽く、大会の高揚感も手伝って、
誰もが笑顔で歩き始める大会プロローグ。


「承」

20km~60km。

筑波山口から30km真壁休憩所を抜け、40km岩瀬折り返し点から
再び筑波山口に戻るまでの40km。

日没と共に、運命の道「りんりんロード」が、
もうひとつの表情を見せ始める、大会前半戦。


「転」

60km~80km。

筑波山口から73km藤沢休憩所を通過し、
80km土浦休憩所までの20km。

足は痛み、眠気と疲労で怒りすら沸いてくる。
長い長い夜が意識を蝕み、
多くの参加者が夜明け前にリタイアを考える、勝負の中盤戦。


「結」

80km~100km(ゴール)。

土浦休憩所から最後の休憩所となる87km藤沢休憩所を抜け、
最も長く、そして最も厳しいゴールまでのラスト20km。

身体は既に限界を超え、意思と意地だけが最後の堤防となる。
ただ1歩、この1歩の積み重ねのみが
自らを救う唯一の手段だと思える者だけが、
最後の栄光を味わえる。

全てを試される最終決戦。


「承」は「起」の、「転」は「承」の、
「結」は「転」の、それぞれが倍々で長くなっていく感覚。

歩けば歩くほど残りの距離は縮まっているはずなのに、
目の前の1kmがどんどん遠くなる。来なくなる。

歩いても歩いても歩いても終わらない、あの道。
最後の10km、いや、最後の3kmが一番長く遠く感じる。

100kmってのはそういう距離だと思う。


また、今年は去年と違って、暑さという新たな敵もいた。

もしかしたら時間と共に去年の辛かった記憶が
薄れてきているだけなのかもと考えたこともあるけれど、
誇張でも言い訳でもなくて、
間違いなく今年の方が辛かったし、しんどかった。

確かに肉体的な面で言えば、
去年の方がダメージがあったのは間違いない。

でも、今年は去年は全く気にならなかった問題が出ていた。

体力。

足が動かない。身体が前に進まない。

痛くないのに、いや、正確に言えば痛いんだけど、
身体のあちこちが悲鳴をあげてるんだけど、
想定内の範囲だし、去年の激痛と比べたらたいしたことない、
動かせない痛みじゃないはずだった。

でも、足が前に出ていかなかった。

1歩1歩がしんどくて、重くて、辛くて、
暑さが自分の身体を蝕んでいくのが手に取るように分かった。

それが去年よりもの凄く辛かった。

痛みの対策は散々したけど、
まさか歩くことで体力不足を感じるなんて考えてもなかったから。

しかも、個人的には69km地点を目標にしてた部分も
少なからずあったから、
明らかに体力のペース配分を間違えてたと思う。

69kmを越えたあたりから、

「え?ここで終わりって聞いたから俺頑張ったんですよ?
    まだ歩くんですか?超辛いっスよ!マジ限界っすよ!」

って声が身体中から聞こえてくるようだった。

どんどんペースが落ちてくる自分が情けなくて、
皆の背中ばかりを追いかけてる自分が悔しくて、
でもそんなとき、moonさんが「大丈夫か?」って声を掛けてくれた。

「辛かったら言ってな」って。

うん、ちょっと辛いかもって答えたと思う。
そしたら

「何だよ言えよ」

って皆でペースを合わせて歩いてくれた。
あれは嬉しかったな。

この1年間、一緒に過ごしてきた時間、積み重ねてきた関係、
ごく小さいコミュニティの中でのことではあるけれど、
確かにここに自分のポジションというか、
何かが確立できているのかもしれないって感じることができた。

だから嬉しかった。

本当に、皆で手をつないでゴールできたとしたら、
それはもう、この1年間頑張ってきた自分へのご褒美だって思った。

今年は、去年と違う。

歩ける自信はある。
時間的にも、肉体的にも、余裕がある。充分間に合う。

でも、今年はそれだけじゃ足りない。
やっぱり俺、このメンバーと一緒にゴールしたいって思った。



→その3へつづく

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※この記事は、2008年09月14日にmixiで投稿したものを転載したものです。


せっかくの休業期間なので、
徹底的に遊びまわろうと考えている訳ですが、
思い立ったが吉日、富士山に登ってやろうと。

標高も日本一ならば、そびえ立つ景観も日本一、
山頂からの眺めも絵にも描けない美しさのはず。

登山翌日以降に襲うであろう激烈な筋肉痛を考えれば、
通常、仕事に影響のありそうな富士登頂は避けるべき事項、
だがしかし、今は「幸いにも」無職・・・(´・ω・`)

しかも今は夏(残暑とはいえ)、冬なんてどんだけ寒いんだよ、と。
登るなら気温が比較的高い今しかない。

考えれば考えるほど今・・・勝負の時ッ・・・(゚ー゚)ニヤリ  


ということで、まずは下調べ、
何事にも形から入る私は、登山に必要な持ち物を準備することに。

1)ザック
2)トレッキングシューズ
3)雨具
4)軍手
5)防寒着
6)日焼け止め
7)水・スポーツドリンク
8)タオル
9)ゴミ袋・トイレットペーパー・ウエットティッシュ
10)登山用ステッキ

無いものは買うしかないので、
神保町のスポーツ用品店にて登山グッズを買い求め、
登ってる最中に小腹も空いてくるはずと「おやつ」を購入、
高山病が怖いので「携帯酸素」も用意して、
砂ぼこりが酷いらしいので「防塵マスク」と「砂防止のスパッツ」も。

さあ、準備万端。これだけ準備すれば初めての登山でも何とかなるさ!と
次は登頂予定日を決めることに。
・・・来週の前半は大阪に行くから、後半の木金あたりに決定。

さぁ後は登るだけだ─────


その翌日、はやる気持ちを抑えつつ、
そういえばUSJのことも調べないと、と
ガイドブックを買いに本屋にふらり。

そこで、ふとこんなタイトルが目に入る。


── 『るるぶ富士山富士五湖御殿場富士宮’09』 ──


へぇ、こんなガイドブックも出てるんだァとパラパラめくると、
ある一文が目に入ってきた。



── 富士山に登山できるのは、
     毎年7月1日の山開きから8月26日の山じまいまでである。──








・・・




( ゚д゚)


(つд⊂)ゴシゴシ


(;゚д゚)


(つд⊂)ゴシゴシ


  _, ._
(;゚ Д゚)!?





・・・今日は、えーと、何月何日だったっけ?




・・・



── 富士山に登山できるのは、
     毎年7月1日の山開きから8月26日の山じまいまでである。──




・・・えぇ??




── 8月26日(中略)までである。──




・・・えぇぇ!???


だ…だって初日の出とかで登ってたりするじゃん!?
『侍魂』の健さんだって翌日登ったりしてるじゃん!?
高校の親友が所属してた登山部だってわりと登ってるじゃん!?


2ヶ月程度しか登れないなんてことは・・・






── までである。──






・・・登頂は、計画的に\(^o^)/
やっちまった・・・
もっと前からログインだけでもしとけばよかった・・・

この画面、何度目だろう。


<追記>
エントリー、結局moonさんにお仲間エントリーでやってもらいました!
感謝!!

教訓:ログインはお早めに。お仲間エントリーは前日までに。

どうして気がつかなかったんだろう。

徐々に強くなる雨脚。
メガネに雨粒がぶつかり視界が悪い。

ポンチョのフードは風に煽られ、
雨と汗で濡れた髪が肌にはりつく。

自分の足音だけが単調なリズムを刻み、
耳から聴こえる音は、眠気と疲労で朦朧としている意識の上を流れていく。

60km地点の筑波休憩所から、73km地点の藤沢休憩所まで13km、
自分はずっと一人で歩いていた。

すれ違う人もなく、後ろに人影もなく、
変わらない景色がすっかり明るくなった頃、
やっとの思いでたどり着いた藤沢の休憩所で、彼のリタイアを知った。

答えてくれたのはみゆきさんだったか、
ベティさんだったか、カービィさんはもっと先に行ってた気がする。

携帯にメールが入ってるよ、と涙ぐみながら教えてくれた。

慌てて携帯の電源を入れて、
メールを確認した。

moonさんのメールには、

「69キロ地点。リタイアです(>_<) ごめんなさい。」

と書かれていた。


どこで追い抜いたんだろう。
moonさんは自分の前を歩いていたはずだ。

60kmまでは、ほとんど一緒に歩いていた。

右足にできたマメの痛みが我慢できなくなって、
治療とテーピングのために自分だけが筑波休憩所に残った。

だから、一緒に歩いていたつきっこのメンバーは、
自分より先に進んでいるはずだった。

早く追いつかなきゃ、みんなと一緒に歩かなきゃ、
もし次の休憩所までにみんなに追いつけなかったら、
俺の気持ちがもうもたないって、ずっと思いながら歩いていた。

だから、前しかみてなかった。

陸橋の下にいたmoonさんに気づくことなく、
声をかけることもできずに。

後から聞いた話では、60kmを超えてから、
moonさんのペースは徐々に落ちて行き、
他のメンバーともはぐれてしまったのだそうだ。

69kmの陸橋の下に着くまで、moonさんは何を考えていたんだろう。
きっと、いろんな気持ちと闘っていたんだと思う。

リタイアを決断する前に、あのメールをみんなに送る前に、
自身の意地と、プライドと、リーダーとしての立場と、
もしかしたら父としての威厳と、
絶え間ない痛みと、疲労と、眠気と、寒さと、
残りの距離と、今までの道程と。

誰も通らない真っ暗な道で、そして陸橋の下で、
何時間も、いや、もっともっとずっと前から、必死に、懸命に。

ずっと闘っていたはずなのに、
自分は気がつかなかった。

60kmまで、ずっと隣にいたのに。
69kmの陸橋を、彼がいたはずのその場所を、今通ってきたはずなのに。

悔しかった。

情けなかった。

どうして気づかなかったんだろうって、ずっと思ってた。

もちろん、気づいて声をかけたとしても、
結果は変わらなかったかもしれない。

「うるせー!もうやってられっか!」って言われたかもしれない。
なんか言いそうだ(笑)

でも、気づけば何か変わっていたかもしれない。
声をかけていたら、次の休憩所まで一緒に歩くことができたかもしれない。

そして藤沢休憩所まで行けたなら、
その次の土浦休憩所くらいまでなら、辿り着くことができたかもしれない。

たら。れば。

言い出したらキリがないんだけど、
でも、あのとき、あの場所、あのタイミングで、
自分に何か出来なかったんだろうかって、ずっと引っ掛かってた。

この1年間、ずっと。

自分も、moonさんと一緒にゴールしたかった。
moonさんに歩ききって欲しかった。

自分はその後、ミルトンさんにロキソニンを貰って息を吹き返し、
土浦休憩所でベティさんに元気付けられ、
折り返し戻ってきた藤沢休憩所でmoonさんと再会した。

そのときの気持ちを背負って、意地張ってゴールした。

これが、去年の100kmウォーク。

俺の、100kmウォーク。

あららちんも、カービィさんも、そのときの気持ちを日記に書いてた。
自分も書きたかったけど、うまく言葉にできなかった。

2人は、俺のなんかよりもずっと前からmoonさんと付き合いがあったし、
長い間、密度の濃い時間を過ごしてきてた。

だから、俺なんかの何倍、何十倍、何百倍も悔しかったと思う。

今回の100kmに懸ける想いは、moonさんに対する想いは、
他の誰よりも強かったと思う。

この100kmを終えてから、急激に仲良くなったカービィさんとは
よく飲み会の後に一緒に帰った。

酔っ払って吊り革に身体を預けながら、
必ずといっていいほど、カービィさんはこう言ってた。

「俺の100kmウォークはまだ終わってない」

この言葉がどれだけ重い覚悟の言葉か、
あの距離を、100kmを歩いた人なら分かる。

あの辛さったらない。できればもうやりたくない。

もう1度、あれを経験しようって言ってるんだ、この人は。

仲間のために。

凄い素敵な関係だと思った。

自分も、カービィさんには及ばないかもしれないけど、
同じ気持ちは持っていた。

仲間だと感じていた。

戦友だと感じていた。

100kmに挑戦するキッカケを作ってくれたmoonさん、
大会まで引っ張ってってくれたmoonさん、
その彼がゴールするまで、この挑戦は終われないって思ってた。

でも、moonさんがやるって言い出すまでは、
なるべく自分からはその話題を出さないように、とも思ってた。

葛藤もあったし、正直、100kmって距離が怖かった。

時期的にも仕事が忙しくなってくるって感覚はあったから、
俺も出るからmoonさんも、とは言えなかった。

まぁ、もちろんあれだけの体験だもの、
お酒を飲んだら出ちゃうし言っちゃうんだけどさ。

だから、moonさんが今年も100km挑戦したいって言ってくれたとき、
力を貸して欲しいって言ってくれたとき、もの凄い嬉しかった。

これで、あの場所に、ずっと引っ掛かってたあの陸橋下に、
今度こそ決着をつけられるって思った。

今度こそ、moonさんと一緒にあの場所を越えよう。


それが、俺の今年の100kmウォーク。


目標が決まった。

2012年1月。歩こう、と決めた。

 




 →その2へつづく


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