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<前回までのあらすじ>
→つくば100キロウォーク2012 その1
→つくば100キロウォーク2012 その2
→つくば100キロウォーク2012 その3
→つくば100キロウォーク2012 その4
─みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。
どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。─
(恩田睦「夜のピクニック」より)
スタートから12時間、再びこの場所に戻ってきた。
60km筑波休憩所。
時刻は0時をとうに過ぎており、
残り時間は12時間、残り距離は40km。ケツが痛い。
2011年のときは、休憩所の屋根を叩く雨音が煩いくらいだった。
今年は運営が休憩所の照明用に設置している小型発電機の
低いモーター音までハッキリ聞こえる。
虫の泣き声もする。実に静かなもんだ。
この休憩所に到着する少し前、歩きながら
moonさんがこんなこと言いだした。
P-diaryから引用させていただく。
> なぁ、ぶっちゃけオレ楽勝なんだけど、
> 100キロってこんなもんだっけ?
> 雨が降らないと、これくらいのものなん?
> もし、このレベルが続くだけだったら、
> オレ、ゴール出来ても
> あんまり感動とかないかも。
確かにここまでの60km、moonさんをはじめ、
自分以外の3人はめちゃくちゃ順調に歩いていた。
もちろん疲労は距離相応に溜まっているのだけど、
去年は濡れた靴の中で足の小指が擦れ血マメとなり、
また、踵に出来た水ぶくれが潰れて猛烈に痛かったのだから、
それを思えば外傷的なダメージ、靴ずれやマメなんかとは無縁だった。
唯一、ケツの痛みだけ。
moonさんがそう感じてしまうもの無理もない。
でも、カービィさんも、あららちんも、自分も、
みんながみんな声を揃えて「まだまだこれからですよ」って
笑いながら話したのを憶えてる。
これからが本番ですよって。
その2でも書いたけど、
100kmを「起・承・転・結」で分けるとするのなら、
ここから先の20kmは「転」。
ここまでの60kmは、ある意味でプロローグ。
ここからの40kmは、今まで歩いてきた道とは別の道だと思った方がいい。
気力、体力、判断力。
お腹だって空く、眠くもなる、まともな神経じゃいられなくなる。
暴力的なまでの獰猛さでもって、
参加者から一気に様々なものを奪っていく。
そうだ、ここからが本番だ。
ここから先が、100kmウォークが100kmウォークである所以なんだ。
60km筑波休憩所を出発し、
次の73km藤沢休憩所を目指して再び歩き出す。
ここまでの旅路が順調過ぎて、ちょっと油断していたのかもしれない。
ちょっと休み過ぎたようで、身体が冷えて固まってしまっていた。
足を前に出すことすら辛い状態がしばらく続く。
りんりんロードの脇に植えられている街路樹を通り抜けるほど歩くと、
やっと身体が温まってきた。
あれだけ痛くて死にそうだったケツの痛みも、
やや和らいだように感じられた。
これならなんとか歩き続けることができそうだ。
去年(2011年)のつくば100kmウォークの風景を思い出すとき、
自分は必ずこの区間を思い出す。
60km筑波休憩所から73km藤沢休憩所までの13km。
初めて、たった独りでずっと歩いた区間。
去年は10kmだと勘違いしてたおかげで、
その「たった」3kmの距離がどれだけ長く辛か感じられたことか。
前後に遥か彼方へ続くような真っ直ぐな道、
左右には田園、見渡す限り誰もいない、何も見えない。
聴こえるのは雨に喜ぶカエルの合唱と、
ポンチョを叩く雨音と、単調なリズムを刻む自分の足音だけ。
吐く息は白く生ぬるく、風と雨にまぎれ後方に流れていく。
雨粒に濡れたメガネが嫌で嫌で仕方がなくて指で水滴を乱暴に拭きとり、
指紋の付いたレンズの奥から覗き込むように、
視線は、赤い点滅ライトを探して暗闇をさまよう。
次第に雨脚が弱くなり、音が消え、眠気と疲労で意識が朦朧としながら、
本当にこの道で合っているのか自問自答する。
もう嫌だ、帰りたい、横になって眠りたい。
なんで休憩所がないんだよ、
そんなはずがないだろ、もう10kmは確実に歩いただろ。
怒りにも似た感情とともに、
どうしようもない寂しさがこみあげてくる。
前にいるはずの仲間の姿が全く見えない。
ああそうか、この世界で今動いているのはきっと自分だけなんだなと
思い始めた頃、左の空が赤く、明るく染まっていく。
すると朝もやなのか、霧雨なのか、薄ぼんやりとした遥か前方から
折り返し歩いてきた人の影が見えてくる。
目を凝らせば、その先にわずかに光る休憩所の明かりが見える。
たった独りで過ごした長く暗い夜を抜け、
これが夜明けだと感じたあの瞬間を、自分はたぶん忘れない。
仲間とともに過ごしたこの区間以外の長い長い旅路は、
この区間が教えてくれた「孤独」という名のスパイスによって、
より一層色鮮やかな思い出として残すことができている。
そして、今年。
この区間、自分は独りではなかった。
ずっと4人で歩いていた。
歩きだす前は、もしかしたら今年もこの区間になれば
また独りになってるかもしれないと思わないでもなかったけれど、
気が付いたら、この1年、苦楽を共にしたこの4人で一緒に歩いていた。
嘘。
気が付いたら、なんて嘘。
実は、今年はこの4人でここを越えようって、
ずっと考えていた。
moonさん、カービィさん、あららちん。
なんとなくだけど、ペースを合わせるなら
この3人だろうなって感触がずっとあった。
そのために、あれほど辛かったケツの痛みも我慢できた。
そこまでは、死ぬ気で彼らのペースに喰らい付いていこうと考えていた。
69km地点の、陸橋下。
去年、moonさんがリタイアした場所。
自分が、何もできずに通り過ぎてしまった場所。
もしかしたら「後悔」って言葉が一番近いのかもしれない。
あの陸橋を、去年越えられなかったあの場所を、
この4人で越える瞬間をずっと願っていた。
そのために、ここまで来た。
去年の100kmウォーク大会にピリオドを打つために、
そこに置いてけぼりになった気持ちに決着を付けるために、
今年はエントリーしたのだ。
4人は黙々と歩き続ける。
ここまでくると、会話らしい会話はほとんど無くなっていた。
疲れていたし、眠かったし、口を開けば「眠い」だの「長い」だの、
眠気を覚ますためだけにただただ呟くような、
そんな意味の無い言葉が意識の外側を流れていく。
誰かがときどき思い出したように小さな声で歌いだし、
他の誰かが歌詞の分かるところだけを合わせて歌う。
1kmごとに設置されている距離標識がなかなか来ない。
次第にみんなのペースが落ちていることが分かった。
65kmを過ぎたあたりで、moonさんもケツが痛いと言いだした。
時々立ち止まっては「なぁちょっと見てくれ」とか言って
ケツを突き出してくる。
大の男が2人してケツが痛いケツが痛いと
肛門のあたりを押さえながら歩く姿は、
きっと傍から見たら相当に異様な光景だっただろう。
見る人が見れば、カービィさんが両刀使いということになる。
実に恐ろしい想像だった。
去年、孤独感に押しつぶされそうになっていたこの区間で、
自分は笑ってた。これがこの1年で自分が得たものだった。
そうこうしながら、66kmから67km、67kmから68kmと、
到達距離を示す「土浦から●km」という標識を次々と越えてく。
見たような、見ていないような景色が延々と続く中で、
記憶の中にある景色が目の前のそれと一致する瞬間が出てくる。
去年のこのあたりでは、もうみんなバラバラに歩いていた。
この4人の中では、カービィさんが先頭だったろう。
そこに遅れるようにして、moonさんが歩いている。
次にあららちんか、自分か。
どこかで追い抜いたような気もするし、
それはまた違う記憶のような気もする。
いずれにせよ、一緒に歩いた時間はごくわずかだった。
今年は、そのバラバラだった4人が、
それぞれの歩調に合わせて歩いているから不思議だ。
その当時の記憶と、今の想いとの答え合わせをするかのように、
自然とお互いの思い出を語り合うようになる。
「去年は雨であんまり意識したなかったけど、
さっきの場所の落書き、かなり気持ち悪くなかった?」
「ああ、それオレも思った」
「去年さ、あの道路の常夜灯を休憩所と間違えなかった?」
「あー、あれすごいショックだったよね」
「自分はこの区間が一番つらかったんですけど」
「え、オレは最後だな、やっぱ」
「あー、最後も確かにほんっと辛かったですよね」
「あ、ごめんそれオレわかんねー」
「あと数時間後に嫌でも分かるよ(笑)」
どうでもいい会話だったけれど、
ただの想い出話だったけれど、
ここにいる4人全員が、それを意識していることはわかった。
その場所が近付くにつれて、次第に会話が少なくなっていく。
今度は、眠気が原因ではなかった。
「もうすぐかな」
「もうすぐだね」
誰ともなく、手をつなぎ始めた。
視線は前を向けたまま。
この場所を、4人で越えようって、
ずっと思っていた場所が、すぐそこにあった。
2011年つくば100kmウォーク大会で忘れた、
大事な大事な想いが、そこにはあった。
そこは、いままで散々通り過ぎてきたような陸橋のひとつだった。
唯一、高架下にベンチが設置されており、
そのベンチの奥、少し沈んだ場所に少し広いスペースがあった。
去年のmoonさんは、ここにいたのだそうだ。
記憶の向こう側で、その光景を繰り返し思い返す。
たぶん、自分はそれを見ていたはずだった。
誰かがいることには、きっと気が付いていたのだろう。
でも、それが誰なのかまでは、意識が回らなかった。
気が付いたのは、73km藤沢休憩所で、メールを見たときだ。
去年、ここでリタイアした。
誰もが無言で、そこを通り過ぎる。
手をつないだまま。
それぞれに抱えた想いを、他の3人に伝えようとでもするかのように。
陸橋を過ぎ、moonさんが振り向く。
去年の自分が見ることの叶わなかった角度から、
その場所を見る。
「見たか!去年のオレ!見たか去年の100キロウォーク!!」
moonさんが叫んだ。
カッコよかった。
いや、叫んだっけ?
ごめんなさい、実はなんて言ったのかもよく覚えてない。
でも、最高にカッコいい台詞を言っていたのは覚えてる。
去年、80km土浦休憩所を折り返し、
最後の休憩地点でまで戻って来たとき、
既にリタイアしていたmoonさんがそこにはいた。
悔しさと情けなさで顔をぐちゃぐちゃにしながら、
何度も「ごめん」って謝る彼に、かける言葉を見つけらなかった。
「この気持ちだけでも、ゴールに連れていって欲しい」と言われたとき、
何としてでもゴールしなければならないと思った。
そして、その気持ちを昇華させることもできないまま、
今この瞬間まで、ずっと胸の中にしまい込んでいた。
それを、今、彼にお返ししよう。
そんな願いを、握った手のひらに込めた。
bye,bye、2011年。
長かった2011年の100kmウォーク大会が、これで終わる。
自分の役目もここまで。ここがゴールだ。
でも、moonさんは言った。
「今年は、4人でゴールしようぜ」
2012年の100kmウォーク大会が、やっと始まる気がした。
そうだよね、忘れたまま置いてきてしまった想いを、
みんなで取り戻した想いを、今度はゴールまで連れて行こう。
再び前を向いて歩きだす。
次の休憩所までは、4kmを切っていた。
→その6へつづく
※この記事は、2011年06月04日にmixiで投稿したものを転載したものです。
「つくば100キロウォーク」
http://tsukuba100km.web.fc2.com/
元・筑波鉄道「筑波駅」跡をスタート地点として、
その線路跡にできた県道501号(通称りんりんロード)と、
つくば古道・平沢官衙遺跡・小田城址の周囲100キロの道のりを
24時間かけて歩こうという超ド級な(超ドMな)ウォーク大会。
しかも大会前日に関東地方は梅雨入り。
大会当日の天候は曇りのち雨、ところにより豪雨。
・・・豪雨って(笑)
その難易度はドMにも程がある。
経過と結果についてはかいつまんで呟いていたので、
一部の方はご存知かもしれませんが、
最終的に、私はその100キロの道のりを歩き切ることができました。
所要タイム、およそ23時間。
(公式サイトに記録と本名が掲載されてますので、だいたいの時間ね)
本当に、本当に辛かった。
数ミリの段差に、あんなに苦労するとは思わなかった。
足を前に出すことが、こんなにも苦しいとは思わなかった。
途中から、あと何キロ残っているかなんて考えても無駄だと分かったので、
何も考えずに、ただただ、あと1時間だけ、あと数分だけ、この瞬間だけ、
この足を動かし続けるんだって考えてました。
ゴールした瞬間は、達成感より、満足感より、
これでもう解放される、ゆっくり休めるっていう
嬉しさの方が何倍も強かったです。
達成感は、なんとなくまだもやもやした感じなのですが、
でも、少しだけ自信にはなりました。
なんだ、自分もけっこう頑張れるんじゃないかって。
欲しかったのは、きっとこの「手ごたえ」だったのでしょう。
だけど、もし単独で参加していたら・・・いや、
独りならそもそも参加しようなんて思わなかったでしょうし、
仮に参加したとしても、完歩は難しかったでしょう。
自分がゴールできたのは、
間違いなく当日一緒に参加してくれた、
歩いてくれたメンバーのおかげです。
まずはお誘いいただいた「ろじっくぱらだいす」管理人ワタナベさん、
そのmixiコミュ管理人のミルトンさん。
こんなドMなイベントに誘ってくれやがりやがって
本当にありがとうございます
(感謝の気持ち)。
もう2人付き合っちゃいなYO!突き合っちゃってもいいYO!
そしたらめっちゃ指さして笑うけど!!
そして今回の発起人であり、「moonpiece」の管理人で、
当日まで自分らを鼓舞し続けてくれたmoonさん。
今回、一番悔しい思いをしたと思います。
でも、ラスト5キロ、普段なら間違いなく折れていただろう、
この弱い私の心を支えてくれていたのは、最後の最後の踏ん張りを与えてくれたのは、
moonさんの強い強い気持ちがあったから。
本当に、本当にありがとうございます。
ラスト20km、一緒に歩いていて、
背中で私の気持ちを引っ張っていってくれたカービィさん。
80キロ地点の休憩所で、
びっくりするくらい痛みに効く軟膏を塗ってくれたBettyさん。
最後の最後、もう周囲に気なんか使ってられるかって状態のときに
このお2人と出会えたのは幸運以外の何物でなかったと思います。
顔見せで1度か2度お会いしただけだったのにね。
歩くペースもそうだけど、あのときの空気がすごく楽でした。ありがとう。
持ち前のキャラクターで、
道中笑い死ぬかと思うほど笑わせてくれたみゆきさん。
練習量からして凄かったさすがの空さん。
「1kmって何km・・・?」あの名言は忘れません。
休憩所で元気をもらったワタナベ♂さん、
ワタナベ♀さんことダブルワタナベのお2人。
なかなかご一緒する機会はありませんでしたが、
なんかつけてさん、あららちんさん、ゆりさん、こーさん。
辛かったけど、おかげで本当に楽しかったです。
あの状況で全員が完歩・・・みんな凄すぎるよ!
夜遅くまで、そして朝早くから各地でフォローしてくれたmoonさんの奥さん、
ポンコツと化した大会後の自分らを運んでくれて助かりました。
ゴールで待ってくれていた嫁さん、嬉しかったぜ。
その姿を見た瞬間、ちょっとぐっときたんだぜ。
道中の様子は他の方がすごくよくまとめてくれているので、
勝手ながらリンクを貼っておきます。
みんな、本当に、本当にありがとう!
ご興味あるかたは読んでくださいね、ってか読めマジで!!
ワタナベさんの日記
http://www.logipara.com/zaregoto/100km2_1.html
moonさんの日記
http://moonpiec.jugem.jp/?eid=1848
みゆきさんの日記
http://miyu.blog.shinobi.jp/Entry/115/
空さんの日記
http://d.hatena.ne.jp/Sapphire/20110607/p1
あららちんさんの日記
http://www.alfoo.org/diary1/ofxjo/
カービィさんの日記
http://www.alfoo.org/diary47/psyencek/
今朝、招待状が届いてた。
完歩証を発行した人に一律に送ってるんだろうけど、
あの情景がね・・・いつまでも心を焦がしてる。
もはや中毒だな、これは。
http://tsukuba100km.web.fc2.com/
2013年のつくば100キロウォーク、公式の更新来たね。
今年は挑戦できるか分からないのだけど、
それでもやっぱり心が躍る。
今読んでる本にね、こんな文章があった。
人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、
真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、
血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、
誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくては
しそうにないことを、やりたかったのだ。
もしかしたら、私は「真剣に酔狂なことをする」という
甚だしい矛盾を犯したかったのかもしれない。
100km歩くなんて酔狂なこと以外の何物でもない。
でも、そんなことだからこそ掴めたものが確かにあったと思う。
今年はどんなドラマが待っているのだろう。
ろじっくぱらだいすスピンオフイベント「漂流する6年4組からの脱出」、
本日をもって無事、全公演が終了しましたー。
ご来場いただいた皆様、そして
残念ながらチケットが取れずに悔しい思いをした皆様、
チケットは取れてないけど別にいいかなと思っている皆様、
皆様まとめて、本当に、本当にありがとうございました!
という訳で、本日より公演内容のネタバレ解禁です。
自分もそれに便乗してレポート書こうかなんて思ってはみたものの、
よく考えたら謎解きの内容を何一つ知らないので、
せっかくなら公演の裏設定をひとつだけ書こうかなと。
謎解きの解説にかかるネタバレついてはご本家、
そして謎好きブロガーの記事を検索くださいませ。
ただし、再々公演以降の予定がどうなるかは未定なので、
念のため読まれる際は自己責任でよろしくお願いします。
ではいきますー。
今回の公演の舞台となる「6年4組神田駅前分校」に入ると、
正面左手側、下駄箱近くに公衆電話がひとつだけ設置されています。
この電話、閉じ込められた教室から出ると突然鳴り出し、
電話口から女性の声で脱出のヒントをくれるのですが、
参加された方は疑問に思いませんでしたでしょうか?
この声の主は誰ぞや???
と。
スタッフの誰か、という意味ではありません。
それを言うなら謎ガールS氏ですけど、そういう意味じゃありません。
異世界に漂流した教室の中で、皆を助けるこの声。
この声の主ですが、公演中、謎解きの中では
ついぞその正体が何者なのか判明する場面は訪れませんでした。
この公演には謎解き関係者が多く参加されていたせいか
このS氏の声にさほど違和感を感じられていませんでしたが、
公演には謎関係者だけが来るわけじゃありません。
内輪ネタを嫌うワナタベさんがそんなことするはずもなく、
実は、ちゃんとこの公演内容に沿った裏設定があったんです。
この声の主、最期に気になることを言ってますよね。
「残り時間を伝えるから、受話器は外しておいて」
と。
でもよく思い出してみてください。
時間のアナウンスについては、ちゃんと受話器を取る前からありました。
ここまで来るのに平均20分程度ですから、
少なくとも「10分経過」の声は聞こえていたはず。
では、なぜ受話器を外す必要があったのか。
公演前(開場~開演)の写真と、
公演中(異世界)の写真と、
公演後(脱出成功~退場)の写真を
それぞれ見比べてみましょう。
公演前(現実世界)
公演中(異世界)
公演後(現実世界)
もうお分かりですよね?
公演前は、電話機の右側にいた招き猫が、
異世界に飛ばされた公演中にはいなくなっています。
そして、公演後、再び現実世界に戻ってきた
電話機の左側、受話器の傍には、再び招き猫が置いてあります。
これ、気が付いてました?
ちゃんと全ての公演で、裏でスタッフが地味に動いてます。
現実世界の受話器越しから
異世界に飛ばされた参加者に現実世界に戻るためのヒントを出し、
そして現実世界に戻ってきた参加者を何も言わずに、
しかしながらきっと喜んで迎えてくれていたこの招き猫。
これが、声の主の正体です。
この声の主が実は招き猫なんだという無駄すぎる情報を伝えるため、
言いかえれば、この招き猫を受話器の傍にこっそり設置するために、
参加者の方には受話器を外してもらってたんです。
ええ、謎解きには一切関係のない情報ですよ。
でも、これが世界観に対する愛ってもんです。
招き猫の彼女、現実世界ではただの招き猫の置物だけど、
異世界では皆さんの守り神として
ちゃんと見守ってくれていたんですね。
残念ながら参加したけれど彼女を見逃してしまった方、
もし今後どこかでこの公演があれば、
参加される方に彼女のことをこっそり教えてあげてください。
これからどこかでこの公演に参加しようと思っている方、
電話機の近くをほんの少しだけ注意深く観察してみてください。
ほら、惜しいことした or 公演が楽しみって思ったでしょ。
再々公演の予定は未定ですけど、
もしかしたらまた彼女に会えるかもしれませんね。
以上、「漂流する6年4組からの脱出」の裏設定でしたー!
08 | 2025/09 | 10 |
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