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撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
×

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<前回までのあらすじ>

→つくば100キロウォーク2012 その1
→つくば100キロウォーク2012 その2
→つくば100キロウォーク2012 その3
→つくば100キロウォーク2012 その4
→つくば100キロウォーク2012 その5


当初の個人的な目標として設定していた69kmの陸橋を越え、
moonさん、カービィさん、あららちん、そして自分の4人は歩きだした。

陸橋の写真は、通り過ぎたあとに振り向いて、
何度か携帯で撮影した。

でも、自分の古い携帯カメラでは
真っ暗でほとんど何が写っているのか分からなかった。

「思い出の場所」を通過したことで、
もっとこう感動的な展開を期待していた部分もあったのだけど、
過ぎてみると意外と素っ気ないものだった。

自分にとってはここまでmoonさんたちと辿り着くことが
今年の100kmウォークに挑戦した最大の目標であったし、
この陸橋を通過することがひとつのゴールでもあったのだけど、
他の3人にとってはあくまで通過点ということなんだろう。

歩きながら考える。

去年はこの道を「夢中」で歩いていた。

まさに「夢中」という言葉の通り、
夢と現実とを交互に行き来するような朦朧とした意識の中で、
ただただ霧雨の中で足を動かし続けた。


目指していたのは、
この時点では「70km地点」にあると思っていた休憩所だ。

その後、折り返し歩いてきた見知らぬ参加者に
それが「70km」ではなく「73km」であることを教えてもらう。

頭の中で何度も何度もその3kmに必要な時間を計算し、
むしろこのまま足切りの制限時間になっていてくれとすら考えていた。

自分にとってのゴールは何kmだ?

ここまで行ったらリタイヤしてもいいじゃないか、
誰に自慢できる訳でもなく、誰に褒めてもらえる訳でもなく、
もう充分過ぎるくらい歩いてきたじゃないかと考える。

明け方のこの時間、どこかに酔狂なタクシードライバーが
りんりんロードの路肩にタクシーを停めて
休んでやしないかと周囲に目を凝らしながら歩く。

もしこのとき、自分にこの周囲の土地勘があったら、
きっとこのまま横道に逸れて国道に出たことだろう。

そして、くそったれやってられるかと思いながら
タクシーを停め、どこか別の場所に行っていたはずだ。

それをしなかったのは、
「友情」とか「意地」とかそんな素敵な理由じゃない。

ただただ路肩にタクシーが停まってなかったからだし、
ただただ自分にこのへんの土地勘がなかったからだ。

タクシーが停まってたら間違いなく乗ってるし、
土地勘があったら間違いなく帰ってる。

この後のことなんて知ったことか、
家でもホテルどこでもこのまま帰って風呂入って着替えて横になって、
頭から温かい布団を被って眠ろう。

何度でも何度でも問いかける。
自分にとってのゴールは何kmだ?

今か?
そうだ、タクシーが見えたら、それはもうゴールだ。

空が段々と明るくなるまで、そして次の休憩所に辿り着くまで、
ずっと繰り返し繰り返しそんなことばかりを考えていた。


今年、69km地点を越えたあたりから、
歩きながらずっと去年のことを思い出していた。

そんな辛い思いをした場所に、
なぜか今年もまた立っている自分が、歩いている自分がおかしかった。

69km地点を過ぎた今となっては、
次の目標はもう100km以外には考えられない。

今思えば、あのときタクシーがなくて本当に良かったと思う。
土地勘がなくて本当に良かったと思う。

去年、最後まで歩ききることができたからこそ、
今年がある。今がある。

歩きながら、少なくとも今年はタクシーを探してはいないし、
目の前の景色から自分がどのあたりを歩いているのかを
きちんと把握している自分に気が付いた。

たぶん、なんとかなる。

それが、去年の100kmウォークから1年を経た今、
浮かんでくる正直な気持ち。

だから、どんなに自分を誤魔化し騙してでも、
何が何でも今年は歩き切ってやろうって気持ちがあった。

それはきっと「覚悟」って言葉に近いと思う。

今だから言えるけど、100kmに必要なのは、
もしかしたら練習でも経験でも装備でもなくて、
その「覚悟」なのかもしれないって思う。

どうしたら自分が100kmと向き合う「覚悟」を持てるか、
それは人によっては練習によって得られるものかもしれないし、
経験によるかもしれないし、装備によるかもしれない。

人それぞれだけど、ちゃんと100kmと向き合う「覚悟」さえ持てれば、
たぶん、なんとかなる。

それが、100kmウォークなんだと思う。

自分の少し前で、moonさんの傍にぴたり寄り添うように歩く
あららちんとカービィさんを見る。

今回、他の誰よりもその「覚悟」が強い2人だ。

去年の100kmウォークの経験者であり完歩者、
その怖さ、辛さを知っている2人。

moonさんがケツが痛いと言い出し、ケツを出しながら歩いてる。
白いケツが夜の道に浮かぶ亡霊のように上下に揺れている。

深夜のテンションも手伝って、腹がよじれるほと笑う。

あららちんがおならをしたいというので、
男性陣はその後ろにぴたりと並んで歩く。

「さぁ思いっきりどうぞ!」

ここまでくると軽いセクハラだ。

今年はmoonさんもいる。
4人で歩いてる。

去年、すっかり明るくなった頃にだどり着いた73km藤沢休憩所は、
まだ夜明け前、3時半を少し回った頃に到着した。


休憩所に着いてすぐ、足とケツの状態を確かめる。

60km筑波休憩所で少し長く休み過ぎたこともあるので、
ここではそんなに長く時間を取るつもりはなかった。

痛みが気になるところにゲル状のロキソニンを塗り、
擦れて皮が薄くなり始めているところはテーピングで補強する。

ふくらはぎや太ももはもうパンパンだ。

前日の筋肉痛が翌朝になってやってきている感じで、
一晩かけてなお痛め続けている筋肉は既に熱を持っている。

しかし、それらを含めてもちろん距離相応の痛みだと思う。
ケツを除いた足腰の状態は去年よりも良好だった。

休憩所ではカロリーと暖を取るべく
甘く温かいものが飲みたいと思っていたのだけど、
参加賞のマグカップをスタート地点に置いてきてしまったため
運営が用意してくれていたホットコーヒーは飲めなかった。

ペットボトルさえあればいいと考えていたけれど、
何だかんだで使う機会はあるもんだ。ちょっと失敗。

そうこうしているうちに、すぐに出発予定時刻になる。
リュックを背負い、再び歩き出す。

ほんの数分の休憩だったけど、それでも動き始めは辛い。
まさに天国から地獄だ。

それでも、次の80km土浦休憩所まではたったの7km。

もちろん歩くにしては充分過ぎるほど長い距離なのに、
ここまでくると7kmに付く冠には「たった」という言葉しか
思い浮かばないから面白い。

出発してしばらくすると夜明けが訪れた。
徐々に明るくなる朝の空気に包まれながら、黙々と歩みを進める。

歩きながら、だんだんと自分のペースが落ちていることに気が付いていた。

眠気もあるのだけど、
それ以上に自分の体力が限界に近付いている感覚があった。

それもそのはず、去年よりも1~2時間速いペースで歩き続けているのだ。
雨が降っていないことを差し引いても速すぎる。

また、自分の当初の目標を達成したという安堵感もあったのかもしれない。

息も絶え絶えになりながら
なんとか3人の後を付いていくのがやっとだった。

しばらく歩いては遅れ、少し早歩きをして追いつき、
またしばらく歩いては再び遅れる状態が続いた。

そんな様子を見かねたmoonさんが繰り返し声を掛けてくれた。

カービィさんは何度もこちらを振り向き、
時間はあるからもう少しペースを落とそうと提案してくれた。

あららちんは遅れがちな自分の手を強く握り、
しかしそれでいて優しく引っ張ってくれた。

このまま歩くから少し眠れば楽になるよ、と言ってくれた。

69km地点を勝手にゴールと考えて
満足していた自分が少し恥ずかしくなった。

みんな、moonさんと100kmを歩き切るんだって、
一緒にゴールしたいって、誰一人欠けても駄目なんだって気持ちを感じた。

なんてことはない、今年の100kmウォークに挑戦するにあたって
「覚悟」が一番足りなかったのは自分自身じゃないか。

情けねぇ情けねぇ情けねぇ
何やってんだオレは。

ずっと手をつないでくれているあららちんを見る。

あららちんは、つきっこ発足当時からmoonさんと一緒に走り続けてきた。
ずっとmoonさんと共に、挑戦し、応援しあい、支え合ってきた。

moonさんがつきっこの父親であるならば、
あららちんは、つきっこの母親だと思ってる。

今年の大会も、moonさんの次にエントリーをして、
ゼッケン2番を手に入れていたのはあららちんだった。

いつでも一緒にいるために。
ゴールの瞬間、その隣でmoonさんを祝福するために。

あららちんの2012年5月26日、
本番当日の明け方に書かれた日記を抜粋する。


最後にむんちんの横を通過したメンバーとして救えなかった後悔と
心ない言葉をぶつけてしまった後悔。
もうこんな思いは持ちたくない。

だから今年も100kmを歩くのか。

そんな単純じゃない。

ほんとつらかった。
ほんとつらかった。

つらいつらい言っても
どれだけつらかったか
痛かったか
寂しかったか
怖かったか
長かったか
暗かったか
冷たかったか
地味だったか
なんてわかってもらえないだろう。

それだけ生きてきて最高のつらさだった。

だけど、それでも、あそこらへんに置いて来てしまった後悔を拾いに行きたいと思う。
拾って、むんちんがゴールしたらぽーんと打ち上げて、それで消えてなくなると思う。
そうしなくちゃいけないなと思う。

原則はむんちんより先に行かない。
願わくは、むんちんがゴールするところを見たい。
たくさんの仲間でその瞬間を祝福したい。
がんばらないとね。

ありがとうあららちん、
その気持ち、充分通じた。

だから、オレも頑張ろうと思う。
なんとしても歩こうと思ってる。

そして、今度は少し前を歩くカービィさんを見る。

今年の大会前日、最高の状態で本番を迎えるためにつくばに前泊し、
そこで決起会と称してmoonさんたちと飲んだ。

その場は21時過ぎには解散したと思う。

でも、翌日に備えるために早めにホテルに戻ろうとしたけれど、
どうしても翌日の本番が不安でたまらなくて、怖くて怖くてたまらなくて、
その後、ホテル近くの焼き鳥屋でもう少し飲もうって話になった。

付き合ってくれたのは、同じく前泊していた
カービィさんとジンさんだった。

少しだけジンさんの話をする。

ジンさんは以前働いていた会社の先輩で、
実を言うと、今年もまた100kmウォーク大会に参加しようと決めたとき、
絶対に誘おうと思っていた一人だった。

ジンさんの凄いところはいくつかあるけど、
特に凄いと感じることが2つある。

1つ目は、目標を決めたら、それに対して徹底的に準備できること。

2つ目は、自分が決めたことであれば、
それがどんなことであろうとちゃんと向き合おうとすること。

案の定、ジンさんは今年の100kmを歩き切った。

努力を外に出さないけれど、いやときには過剰にアピールするけれど(笑)、
それでもちゃんと向き合ってくれたのが嬉しかった。

まぁ、初顔合わせの席で

「100kmをただ歩くだけですよね」

の名言と共にチームに強烈なインパクトを残し、
その後、酔っぱらって終電を逃し、
うちに泊まりに来たあたりも含めてさすがジンさんだよなって思う。

話を戻す。

カービィさんは、本人曰く「moon piece と愉快な仲間たち」の一人で、
P-diaryを読んでいれば必ずと言っていいほど出てくる
つきっこのキーマン的存在だ。

好き嫌いが激しくて気が付いたら誰彼構わず喧嘩してるんだけど、
それでも誰よりも情に厚く、侠気のある人だと思ってる。

現に去年、失意のmoonさんに対して誰よりも早く発破をかけ、
誰よりも早く参加を決意していた。

誰もが「もうやりたくない」と口をそろえる中で、
唯一、そのときからもう1度100kmを歩く「覚悟」をしていた。

カービィさんの2011年5月31日の日記を抜粋する。

 

オレは

オレなりにむんさんの辛さ 悔しさ分かるつもり。
オレもあの雨と風の中歩いた。
寒かったし辛かった。

サイトの管理人でリーダーで
打ち上げ会場の主で
逃げ場のない中のリタイアを言うことが
どれだけ辛く情けない気持ちだったか
全てじゃなくても半分くらいは分かってるつもり。

リベンジだなんて
あの辛さ知らない奴が言ったって説得力ないよな。
オレが言ってもダメか?

オレはやりたいよ。
ゴールで握手したいよ。
あんな87kmで泣きながら握手したまま終わりにしたくない。


このとき自分はブログも開設してなかったけれど、
でも、100kmを歩き切ったあとでこんなこと言える人がどれだけいる?

その人がね、やっぱり本番を前にして「怖い」って。

特にカービィさんは1度歩いてるから
「やれて当たり前」みたいな雰囲気になってるけど、
そのプレッシャーは相当なものだったと思う。

その気持ちは2012年5月25日、本番前日の日記から引用する。


えー
不安やらプレッシャーで、
ここ何日か
携帯日記に言葉も浮かばず
押し潰されそうな気持ちと戦っていました。

去年歩いたし
今年はむんさんのリベンジだ、なんて
オレは100キロ歩くのが当たり前みたいに思ってる奴もいるだろうけど、
100キロ歩くのって
そんな簡単じゃない。
オレだって
恐くて恐くて仕方なかった。
この数日、ホントにツラかった。
散々デカい口叩いてきた手前、
そして背負ってる言葉もあって
弱音吐く訳にもいかず、
いつもどおりの自分を演じてた。(つもり)

本当はきっと
多分きっと
誰よりも恐かった。

こんなのも書くつもりなかったけど
一旦弱音吐いて
リセットして
気持ちを前に向けるよ。

やるしかねー。
やるしかねんだよオレ達は。
この1年
ずっと100キロの事を考えていたんだから。

頑張ろう。
頑張ろうぜ。

つーか、いい加減
明日明後日で解放されたい(笑)


それも含めて、2度目の100kmウォーク。
昨日は、ちょっと飲み過ぎた。

でも、これも今の「覚悟」に必要な儀式みたいなものだった気がする。
大会前の高揚感なんて言葉で片付けたくないんだ。

去年、あの日から積み重ねてきた1年間を
今ここに全てぶつけるつもりで、あららちんもカービィさんも歩いてる。

そんな気持ちで一緒にいれることが、たまらなく嬉しかった。

できることは全部やってやる。
オレ、この人たちと一緒にゴールまで歩く。

長い長い100kmの道中には、必ず自問自答する瞬間が訪れる。
そして、腹をくくらなきゃけないと思う瞬間もまた、同じように訪れる。

自分は、きっとここで腹を決めたんだと思う。

去年の80km土浦休憩所で介抱してくれたベティさんのように、
87km藤沢休憩所で抱きしめたmoonさんの気持ちのように、
背中を押してくれる人が、今年もいる。

朝6時を回る頃、見なれた景色が近づいてきた。

そこは80km土浦休憩所、
2012年つくば100kmウォーク大会、最後の折り返し地点。




→その7へつづく

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もう1年かぁ・・・。
今日から今年のタートルマラソンのエントリー受付開始だって。

第42回タートルマラソン国際大会
http://www.turtle.or.jp/

日程は10月20日(日)、ハーフマラソンの部は10時スタート。
ちょっと前に富士山を降りたばかりなのにね(笑)

昨年の大晦日にお手伝いさせていただいた
ろじぱらスピンオフイベント「漂流する6年4組からの脱出」
昨日発売のファミ通コネクト!オン4月号にて漫画になりました。

ショートカットのインテリブルマガールと、
平成生まれのメガネブルマっ娘とともに、私も少し出ています。

決して美しいものではありませんが、
よろしければ書店等で目を通していただければ。

につけちゃんもちょっと出てたよー。

今日は東京マラソンの応援に行ってきた。

沿道でワイン配ったりボード掲げたりいろいろさせてもらったけど、
とにかく楽しかった。

何であんなに楽しかったんだろうと思う。

きっと、東京マラソンは42.195kmを走る大会ではあるのだけど、
一方では競技としての、記録を狙うマラソン大会として、
もう一方では、お祭りとして、イベントとして周囲に認知されてきたからだろう。

一般的な大会であれば、42.195kmのフルマラソンの途中、
32km地点は一番しんどいポイントのひとつ。

「まだ10kmも残ってるのか」とは思うことはあっても
「あと10kmしかない」と思うことはない。

でも、東京マラソンを走った経験のある方によると、ゴールが見えて来ても、
「ああ、これで終わっちゃうのがもったいない」って思うらしい。

そんな大会なかなかないよ。

参加する人はもちろん、応援する人にとっても楽しめる。
「走る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ云々」ってやつだ。

生きるためには「衣・食・住」で充分なのかもしれないけれど、
人生には、それ以外に「祭」も必要なんだと思った。

今日は行って良かった。

<前回までのあらすじ>

→富士登山2012 その1 -初めての富士山-
→富士登山2012 その2 -登山の心得-
→富士登山2012 その3 -吉田ルート-
→富士登山2012 その4 -八合目~九合目-
→富士登山2012 その5 -御来光、そして山頂へ-


大変お待たせ致しました(笑)

富士登山最後の記事を書く前に、
当日の装備や持ち物について書こうと思う。

時期や旅程、登山道によって違ってくるだろうし、
これが富士登山全般に使える装備かと言われれば自信はないけれど、
自分自身の備忘録としても書き残しておく。

初めて登る方にとっては
多少なり参考にしてもらえれば幸いだ。

今回の旅程は、富士吉田ルートを使って21時30分から登り始め、
夜通し歩いて山頂で4時43分の御来光を見たのち、
翌11時までに下山する弾丸コース。

準備は、旅程に合わせ大きく3つの段階に別けて考えた。

ひとつめは自宅から富士五合目に着くまで、
ふたつめは富士五合目から山頂を経由して下山するまで
そして最後は、富士五合目から帰宅するまで。

もちろん持っていく荷物はなるべく少ない方がいいからね。
最適、かつ必要最小限のものを選んだつもり。

まとめると次の通り。


<自宅~富士五合目>

◆身につけるもの
・ポロシャツ
・ハーフパンツ
・機能性タイツ
・登山用靴下
・登山靴

◆持ちもの
・小銭
・カメラ
・携帯電話
・ウェットティッシュ


<富士五合目~山頂~富士五合目>

◆身につけるもの ※ポロシャツのみ着替え
・帽子
・長袖アンダーウェア
・つきっこチームTシャツ
・軍手
・タオル
・ストック
・ウェストポーチ
・ペットボトルホルダー(+500mlペットボトル)
・ヘッドライト
・バックライト

◆持ちもの ※バスで使ったものに追加
・防寒用のフリース
・ウィンドブレーカー(上下裏地付)
・雨具(上下)
・着替用長袖アンダーウェア
・スパッツ、簡易マスク(ともに防砂用)
・おにぎり、エネルギー補給ゼリー、ソイジョイ
・絆創膏、ロキソニン、リップクリーム、携帯酸素
・500mlペットボトル(コンビニで購入)
・カップラーメン(コンビニで購入)
・ヘリウムガス(カービィさん調達)
・トイレットペーパー
・ゴミ袋


<富士五合目~日帰温泉施設~自宅>

◆温泉用
・バスタオル
・着替え(下着、デニム)
・サンダル

◆その他
・iPad
・酒(コンビニで購入)


行きと帰りはバス移動のため、なるべくラフな恰好で。
ポロシャツは行き帰りともに利用した。

今回は幸運にも天候にも恵まれ、
登るペースもゆっくりだったこともあって、
結局、雨具やウィンドブレーカーの下は使わなかった。

雨具は天候によっては必須だと思うけど、
ウィンドブレーカーの下は不要かもしれない。

また、夏の登山ということもありもっと汗だくになるかと思ったけれど、
夜間の登頂だったので、長袖アンダーウェアの着替えもいらなかった。

ただ、昼間に登ることを考えているのであれば
替えのウェアは必要だろう。

下山道でもそうだったのだけど、
日中の七合目くらいまではたぶん死ぬほど暑いだろう。

食料は低血糖を防ぐためにおにぎりがいいと思う。
エナジードリンク系は血糖値が乱高下するから避けた方が無難かも。

多少高くなるけど山頂には食堂もあるし、登山道には売店もあるから
ペットボトルやカップラーメン、あとはヘリウムガス(笑)もお好みで。

単独行軍ならバックライトも不要。
リュックは日帰りであれば20リットルのもので充分だ。

あと、当日持っていくことはなかったけれど、
あったら便利だったなと思うものはがこれ。

・サングラス
・ペットボトルストロー
・携帯電話の充電用バッテリー

サングラスは下山道では必須のレベル。

自分はメガネがあるからまだよかったけれど、
裸眼やコンタクトの人は砂埃が酷くて目も開けてられない。

ペットボトルストローは、
キャップの開け締めがかなり面倒だったから
あればかなり重宝しただろうなって思った。

大げさなものではなくて、
赤ちゃん用の300円くらいのもので代用できる。

最後の携帯電話の充電用バッテリーは、いざというときのため。

寒いから電池の消耗が激しいし、もし万が一のときを考えたら
連絡手段、光を発生させるものは必要だと思った。

移動も含めて丸2日以上の連続使用になるから、
スマホはもちろん、ガラケーでも持っていた方がいいと思う。

以上、参考にしてくだされ!


さて、下山道。

富士登山の体験記は数あれど、
下山時の体験について詳細に書かれている記事は思いのほか少ない。

初心者向けの富士山の情報サイトですら、
下山道についてはさわり程度の内容しか書かれてない。

だから、参考になったのは登山経験者の談話のみで、
とにかく辛い、ヤバイということだけで、
ほとんど予備知識無しで当日を迎えることになった。

そしてこの日、なんでたいした情報しか載っていなかったのか、
経験者に聞いても何故「とにかく辛かった」としか表現できなかったのか、
その理由を嫌ってほど思い知らされた。


ちーむつきっこの11名は山頂で記念撮影を済ませ、
すっかり日も高くなった頃に下山を始めた。

五合目で再びマイクロバスに乗るため
11時にはそこまで戻らなくてはならない。

降り始めてすぐは、目の前に広がる大パノラマに目を奪われる。

斜めに横切る赤茶けた山肌の向こうに、
見渡す限り広がる青空と、青々と茂る緑の森、
そしてその間にぽつぽつと浮かぶ白い雲。

空気が薄く澄んでいるせいか、遠くの方まで鮮明に見える。

登山道ではずっと山肌の方を向いて歩いていたし、
振り向いても遠くの夜景が見えるだけだったから、
これほどまでに色鮮やかな世界はとても新鮮なものに思えた。

こんなに高く遠くまではるばる登ってきたのかって、
信じられないくらい綺麗な風景が広がっていた。

見下ろすと、遥か遠く八合目付近に山小屋らしき小屋が見え、
そこまで延々とジグザグに通る道が見える。

しかし、そこで初めて気が付くのだ。

もしかして、ずっとここを降り続けなきゃいけないの・・・?

そう、当たり前のことなのだけど、家に着くまでが富士登山、
登った以上はそれと同じ距離を降りなければならない。

この日は天候に恵まれ過ぎていたせいもあって
ずっとずっと、遥か下の方まで綺麗に
下山道を見渡すことができてしまっていた。

山頂を目指し意気揚々と登ってきた夜の往路にはなかった、
これから先、進まなければならない道が全部見渡せる昼の復路。

登山道ほどではないにしても、遥か彼方の先まで米粒よりも小さい
下山する人の列がずぅぅぅぅっと続いているのが見える。

その人影は今自分が立つこの場所からどれだけ離れているのか、
その距離を想像するだけでもゾッとするような小ささだった。

山頂から小屋らしきものが見える八合目付近までの位置関係を考えれば、
その高度差は350m以上はあるだろう。

例えてみるなら、東京タワー(333m)のてっぺんから地上までを
延々と階段で下り続けるようなイメージに近い。

それが五合目まで続くとなれば、その高度差はおよそ1,400m。

東京タワーどころか、東京スカイツリー(634m)を2本縦にならべた
高さよりも、もっと高いところから徒歩で降りなきゃならないのだ。

つ・・・辛すぎる・・・

山頂までの道のりもわりとしんどいとは思っていたけれど、
下山道の辛さは登山道のそれと次元が違う。

体力云々よりも、精神的にくる辛さだ。

いくら歩みを進めても一向に目的地が近付いてこないその感覚は、
100kmウォークの最後の20kmの感覚と似ていた。

確かにこれはヤバイ。
富士山の下山道、正直舐めてた。

登れば終わりと思っていた富士山は、
ちゃんと降りるまでが富士山だったのだ。

できることなら、パラグライダーを使って気に飛び降りたい。
ソリを使って一気に滑り降りたい。

ただ歩くしかないことに軽く絶望的な気分になりながら、
それでも進まないことには始まらない。

先のことを考えるのはやめにしよう、
兎にも角にも、まずは歩き始めることにした。


降り始めた最初の頃はみんなのペースに合わせて・・・
なんて考えていたのだけれど、
途中からはそんな余裕もなくなってしまっていた。

本八合目付近で砂避けのスパッツを装着。
細かい砂が登山靴の中に入り込み地味に痛む。

下山道、超地味。

以降は、まさに「黙々と」って言葉が相応しい。

砂埃が凄かったこともあり、
マスク越しですら舌がじゃりじゃりするような感じだった。

登山道ではあれだけあった山小屋も下山道には1軒もなく、
残り少ない水分がとても貴重なものになっていたから
口をすすぐこともできなかった。

ちなみにトイレも八合目を降りた先と、
七合目の公衆トイレの2箇所しかない。

七合目のトイレはかなりの大混雑。

下山道は、登山道と同じつもりで歩き出すと痛い目を見るようだ。
山頂の売店でちゃんと準備を整えておけばよかった。

何もなく、ただただ歩き続ける、それが富士山の下山道だった。


その後、登山道ではほとんど一緒に歩けなかった
につけちゃんと、ずっとラジオの話をしながら歩いた。

ラジオの話題ってほとんど話せる人がいないから
すげー楽しかった。下山道唯一のオアシスだ(笑)

しばらくしてにゃごちゃんとも合流。
まさに両手に花。

彼女らはこのとき既に富士登山を体験済みで、
この前年(2011年)にも登ったのそうだ。

そのときは雨だったこともあって
砂埃は全く気にならなかったんだって。

同じ山、同じ時期なのに、
気候によって全く印象が違うんだと改めて思った。

今回は、風もなく、雲もなく、本当に絶好の登山日和だったんだね。


足が地面に着くたびに渇いた赤砂が舞うせいで、
黒いリュックもすっかり黄色くなっていた。

道行く人の頭髪も揃いもそろって茶髪になっていた。
きっと自分もそうなっているのだろう。

マスクにも呼吸のあとが付着し、
渇いた指先からキシキシ音がする。

いつのまにか額から大汗をかいていたことに気が付き、
慌ててウェットティッシュで顔を拭く。

久し振りに肌に水分を補給した気がする。
ウェットティッシュ、神。

七合目の公衆トイレ付近で、
重ね着していた長袖のアンダーウェアを脱ぎ、
半袖のチームTシャツ1枚になった。

登山道よりも休憩ポイントが少なく、
連続で動き続けているせいもあるだろうし、
何より遮るものがない日差しが暑くてたまらなかった。


六合目が近づいてくると、下山道に見慣れぬ動物の姿があった。

ロバ。

どうやら、セレブ達はこのあたりからロバに乗って下山できるらしい。
片道2人乗り、お一人様12,000円也。

畜生・・・往復のマイクロバス代よりも高いじゃんね(笑)
ここは断腸の思いで我慢して歩く。

五合目が近付くにつれて、緑が増えきた。
霧も出てきて、肌に心地よい。

これから登ろうって人達ともすれ違う。
誰もがまだ元気そうだ。

彼らの目には、自分たちはどう映ってるんだろうか。
きっとボロ雑巾のようなくたびれた顔をしていたはずだ。

とにかく歩く。あと少し。



10時48分。
につけちゃん、にゃごちゃん、桶の3人で五合目に到着。

ほんっと疲れた・・・。
富士山は登山道よりも下山道の方が倍しんどい。

その後、他のメンバーの到着を待って温泉施設へ移動。

一般バスツアーのコースになっている場所を避け、
昼間は空いているであろう富士急ハイランド併設の「ふじやま温泉」へ。

下山後の温泉って鉄板だと思ったよ。本当に生き返った。
達成感とともに飲む冷えたビール、
こんなに美味いものを自分はまだ他に知らない。


今回の富士登山、本当に楽しかった。

歩いてる最中は辛くてたまらなかったけれど、
でも、時間が経った今だからこそ思う。

富士山は、確かに登れば酷く単調な、退屈な山なのかもしれないけれど、
でも、やっぱり山頂からの景色は何物にも代え難い、
正真正銘、日本一の山なんだ。

映像だけならテレビでも写真でもいくらでも見る機会はあるだろう。

でも、きっとその場にいなければ伝わらないもの、
感じることができないものが、富士山にはあった。

上手く言えないけれど、それは複製のできない、
存在そのものが発するような絶対的な迫力とでも言うのかもしれない。

その場にいれたことに素直に感謝できた。
生きてて良かった、挑戦して良かったと思えたよ。


「富士山、一度も登らん馬鹿、二度登る馬鹿」


この言葉、言い得て妙だと思った。

だって、もう一度登ろうって言われたら、確かにちょっと躊躇するもの。
また登るのかよって絶対に思っちゃう。

でも、それは「同じ状況なら」って限定付き。

もし自分が違う立場に立ったとき、違う状況に陥ったときは、
今度は逆に、もう一度同じように登ってみたいと考えている。

願わくば、自分の子供が大きくなったら一緒に登ってみたい。

子供にこの景色を見せたいし、見て欲しい。
そうしたら、たぶん、また違った富士山が味わえるんだろうなと考えてるよ。

あのときの富士山と、このときの富士山、
きっと全く違う魅力でもって、いつまでもきっと心に残ってくれるはずだ。


これで、長かった2012年の富士山登頂記はおしまいです。

最後になりましたけど、今回の登山を企画し、
皆を取りまとめてくれたmoonさんにはいつも感謝しっぱなしです。

そして、一緒に登ってくれたつきっこの皆様、
いつもいつも、そして今回もまた素敵な想い出をありがとう。

みんなみんな、今回も本当に楽しかったね。
また何かやろうね。

おっつかれさまでしたー!!



→富士登山2012まとめ

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HN:桶屋が儲かる

多感な青春時代に
伊集院光を聞き育つ。

撃ち抜けないのは美女の心と物事の急所だけさ。

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