忍者ブログ
撃ち抜けないのは、美女の心と物事の急所だけさ。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



もうちょっと休んでも良かったんだけど、
今週はちょっと急ぎの仕事があるので父や弟に先駆けて
今日から社会復帰しました。

あ、ワールドカップの決勝は葬儀前日に生で観てますので。

フランスの1点目と2点目、
まだまだVARの利用には改善の余地があるかなと感じたかな。
でも、全体を通してとても面白い大会だったね。

日本の現在位置も分かった気がする。
まだまだ、全然だ。

これからもっと応援しなきゃね。
(だが日本サッカー協会、お前のことは僕はまだ許してない笑)


ロシアW杯 サムライブルーの奇跡 2018年 7/15号 [雑誌]


価格:880円
(2018/7/17 17:29時点)
感想(1件)

PR


無事、見送ってきました。

まだ気を張ってるからあんまり疲れとかは感じないのだけど、
そして、涙もまだ出ないのだけど、
告別式も火葬も無事、滞りなく終えた。

母は、僕ら家族と、葬儀に来てくれた人に手紙を書いて残していた。
その手紙を渡すのは僕の役目だった。

みな、なんてこと…と泣き崩れた。
本当に、本当に強い人だったね、偉かったねと言ってくれた。

誰を呼ぶか、どんな人を呼びたいかをずっと話していたからできたことだ。
その意図を皆が汲んで、あの父ですら職場の人を呼ばなかった。

それを考えたら、母ってすげー人だなって思った。
僕は、すげー人の子供だったんだなって思った。

父も、弟も、その娘たちも、僕も含めて、
母の棺にひとりひとり手紙を書いて一緒に入れた。
向こうで読んどけ、と思って、僕も柄にもない言葉を書いて入れた。

母が入院中に、元嫁と息子がこっそりお見舞いに来てくれたらしくて、
そのときに息子が母宛に書いてくれた手紙も
申し訳ないと思ったけれど棺に入れさせてもらった。

母は最後に孫に会えてよかった、と話していた。
本当に、元嫁のおかげだねと母はとても感謝していた。

この場を借りて、改めてお礼を言わせてください。
ありがとう。

僕宛の母の手紙には

「中島みゆきの新譜が出たら買っといてね」

みたいな冗談とか

「飲み過ぎには注意しなさいね」

とか

「もう少し素直に人生を送ってね」

といった小言がたくさん書いてあったけど、
文の最後に

「わたしの子供に生まれてきてくれてありがとう」

って書いてあった。

「ありがとう。大好きだよ」

って書いてあった。

その言葉を、そのまま母に返してやろうかと思ったけれど、
もう、母はいなかった。


「終活」というと語弊があるけれど、
3月の頭くらいかな、母は余命宣告を受けた。

膵臓がんだった。

がんの中で最も発見や治療が難しいとされている病気。

胃の裏側にあって超音波も届きにくく、
早期には自覚症状がほとんどないことから、
見つかったときには、自覚症状が出てくるときには
かなり進行が進んでいることがほとんどな病気。

母もその例にもれず見つかったときには既にかなり進行が進んでいて、
かゆみが出たので血液検査をしたら血糖値が高くて
もしかしたら糖尿病なのでは?という疑問からその病気にたどり着いた。

祖父も伯父も膵臓がんだったから、
もしかしたら血統的にそういった要素があるのかもしれない。
もしくは、それを誘発しやすい生活習慣があるのかもしれない。

それを聞いたとき、母は「ああ、そうか今度は自分の番か」と思ったらしい。

そこから、母とはどんな風に皆に送って欲しいかをよく話した。
どんな葬儀がいいか、万が一のことがあった場合は
誰に、どのタイミングで連絡をするのが良いか、いろいろ話した。

何かあれば、まずは親族。
葬儀の段取りが決まったら、その次に親しい友人。

ここまでが母が自分の葬儀に来てほしい人。
家族葬に近い形にしたい、と話していた。

会社の人とかはいいよ、それは義理になってしまう。
見栄をはる必要もないのだから、静かに見送って欲しい。

お坊さんを呼んで、葬儀らしい葬儀で見送って欲しい。
でもあんまり肩肘張った大仰なものにはしたくない。

近い人たちだけで、そのときだけちょっと私のことを
思い出してくれたらいいかな。そんな風に話していた。

それが母の願いだった。

母は、病気のことを最後まで友人たちには隠していた。

息をひきとる数日前まで、普通にLINEで連絡をとりあい、
落ち着いたらどこか行こうね、と話していたらしい。

親族にも、ひとにぎりの人にしか伝えてなかった。
だから僕もこのことはmoonさんにしか相談しなかった。

職場にも伝えていない。
その当日、こういう事情だから休みます、とだけ連絡をした。

葬儀の前日、遊び呆けていた僕に代わり母の面倒をよく見ていた弟から
受付の隣に母のハンドメイドの作品を並べたらどうかと提案があった。

家にたくさん残していても仕方がないし、
想ってくれる人が大切につかってくれるならそれが一番良いからと。

ああ、それは母らしいねって皆が言った。
母の余命は、僕らの覚悟の準備期間でもあった。

こんなに素直に、家族で話し合える日が来るとは思わなかった。
PR
カレンダー
06 2026/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール

HN:桶屋が儲かる

多感な青春時代に
伊集院光を聞き育つ。

撃ち抜けないのは美女の心と物事の急所だけさ。

since 2012.6.21
カウンター
ブログ内検索
PR2

Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]